エクスペディア
夏に両親が遊びに来ることが決まったので観光地のホテルをとりあえず抑えることにした。
観光地はアホみたいに高いので少し外れた街。
それでもオンボロホテルですら300ドルくらいするから恐ろしい。
悪評高きエクスペディアにて以前日本往復チケットを購入したけど特に問題なかったので今回もお世話になることにした。
てるみくらぶのこともあり、何だか格安というものに不安を抱く今日この頃だけれども…。
なんだか娘も時差ボケでグズグズの日が続き、自分自身も時差ボケが中々治らずイライラしていた。そんな中、パソコンから予約しようとようやく娘を寝かせた後にパソコンを開いて予約‼︎
ん?今、2ベッドルームにしたよね?
引き落とし処理中の画面で迷う。
あれ?
処理完了画面。そして予約画面見ると…
1ベッドルーム+DEN
ベッドは3台あるので問題ないけど、差額は1万もしない。もちろんそれなら2ベッドルームがいい。
こんな時に限って返金不可のものにした。
ちーん。
イライラしながらやるものじゃなかったね。
まじか。
しばらく1人でブツブツ言ってはため息ついて。
二日後くらいに諦めきれずGoogle先生‼︎
調べてみると、返金不可で予約間違えた…という人はわんさかいた。以前の私ならウワーン(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)となるところだけど最近図々しい私。
夫に似てきたのか?
どうにかなったという人、結局できなかったという人、当日ならできたという人。人によって対応は様々。
とりあえず電話してみることにした。
自動音声が流れ中々スタッフまで繋がらない。
あるある。
数分後、スタッフへつながる。この時は日本人。
かくかくしかじか経緯を説明。
今回は日程、人数の変更はなく、部屋のグレードアップの変更希望。
『今回はホテル側に問い合わせして🆗が出れば変更可能です』
キター。しかも担当者さん、分かりやすく簡潔に答えてくれる。この時点で部屋はまだ空いてることはネットで確認済み。
『ただいまからホテルに確認しますのでお待ちください』
…ここから10分弱保留。
いいよいいよ。今回は完全にこちらの落ち度で無理にお願いしてるからね。国際電話だけどね泣。
『担当者不在の為、ホテルとメールのやり取りになる。結果をメールします』
とのこと。すまんのう。悪評高きとかいってごめんね。
『他に何かお手伝いできることはございませんか?』
…チミは神なの?何なの?
メールは5日後くらいに来た。
『今回は特別に手数料免除にて変更可能。ここに電話してね。』
っしゃーーー‼︎
そして電話をかけるもなかなかスタッフに取り次ぎ出来なくて後日また掛け直すことに。
国際電話だからね…高いんだわ。
そして電話。
もう出た瞬間分かったよ。こないだの担当者と随分違うことが。
出た瞬間からテンパってるし、伝えればわかると書いてある番号伝えても何かわからないとかいうし、それなら電話番号を…と海外の携帯番号言おうと出だし3桁くらい言ったところで違うと遮られたり…
いやね、こないだその番号で伝わったよ。
話は最後まで落ち着いて聞こうね?
ようやく確認とれたところでもういちどホテルへ確認とかいいやがる。こないだ確認したんだろうがー。まあ念には念を。いいよいいよ。
そしてお会計変わりまして➕4万くらいというではないの。さっき私はネットでプラス8000円と見たのよ。
伝えてもこっちの見間違いじゃないかとか散々言われた…。もう担当者変わってくれ…頼むから…。
返金不可で変更と前の担当者にも言われていたのに、返金可で見てんじゃないのかい?とも聞いたが違うという。
おまいさん、一体何を見てんだよ!
結果、もう一度よくみて?今サイト見てるけどやっぱ値段違うよ?返金可の値段ならそれだけど今回は返金不可だよ?
…あ、そうですね。
っとな(*^o^*)
こちらに落ち度があると言えどこの対応、マジでありえなかった。
ましてやこちらの都合だけど国際電話30分もしとんじゃぼけぇええ‼︎
一言お前も謝れーー。
と、不快な思いもしましたが、変更出来ました。
結果。
エクスペディアの返金不可ホテルのものでも電話すれば変更出来る。かもね?
今回は私のミスによるもので、意図的にやるのはやめましょう。担当者さんありがとうございました。
ハゲワシと少女
私が海外に興味を初めて持ったのは小学生の頃。
社会の授業で見せられた1枚の写真。
当時の私には衝撃だった。
この不自由ない国に生まれて生きるのに不自由なく暮らしてきた。
こんな事が未だに起こっているのかと。
そしてそんな状況にも関わらず、写真を撮ったフォトジャーナリストのケビンカーター氏。
内戦の続くスーダンでの一幕。
この写真は23年前の今日と同じ日、ピューリッツァ賞の企画写真部門賞を受賞。
色々責められたカーター氏はその後自殺。
彼はこの写真を通して内戦の実情を世界へと発信することになった。と同時に沢山の批判も受けた。
どういう行動が正しかったのか。
正解はないと思う。
当時の私はまだ10歳にも満たなかったが真剣にこの写真について何回も考察したのだった。
この写真は私の原点。
もちろん日本国内でも貧困格差や飢餓で亡くなる人も少なからずいる。
それでも地球の裏には現在進行形で戦争が起こっていること、近隣国では大飢饉が起こっていること。全てが目を丸くするほどのことで自分が平和ボケしていることに気付かされた。
それから社会系科目は特に興味を引くようになり得意分野となった。
高校生の時には世界史を選択科目にとって、レポートは中東和平について新聞記事読み漁って書いた。
大学の専攻もその分野へと進んだ。
"結局私には何も出来ないけど事実を知ること、そしてつたえていくこと。これが今出来る私なりの援助"
レポートの最後には必ずこんな言葉で締めくくった。結局、座学でこんなこと学んでもちっぽけな私には何も出来ねーわ。自分しょーもね。って真剣に悩んだ時期もある。むしろ授業のレポート書くたびに自分の無力さにげんなりして落ち込んだ。
その後やりたい事も定まらないまま、恋と仕事で悩む乙女になったりして就活も途中放棄。
やりたいことねーわ。しょーもねっ。て。
その度にこの写真を思い出した。
あ。そうか。
私、こんなジャーナリストになりたかったんだ。
初めてやりたいことに気づいた。
でも私には行動力も勇気もなくて結局日本からだって出られなかった。
それでも未だにこの写真を思い出して自分に問いかける。
『今、私に出来ることはなに?』
時々、広告や写真を見てものすごく心揺さぶられることがある。
言葉や写真の力ってホントに凄い。
またどこかで紹介しよう。
カナダにきてからの変化
駐在妻となり、早数ヶ月。
私は何か変わったのだろうか。
来て半年。コミュ力0の私は友達もいないまま娘とずーっと2人でいた。慣れない土地、理解できない言語、言葉が理解出来ない娘。
私はイライラしていた。
はけ口もなく、誰と話すこともなく。
旦那しかはけ口がなかった。
ケンカが増えた。
私は気が狂ったように当たることも多くなった。
どちらが悪いとは言い切れないかもしれない。
それでも私は自分の辛さを旦那に時々こうして訴えることしか出来なかった。
今迄ほとんどの事は自由にさせてきて、文句をいうことも怒り狂うこともなくケンカも少なかった私たち。
私は我慢していたつもりはなかったけど、やっぱりどこか不満を持っていたんだなぁと最近認識出来た。
例えば誕生日にゴルフに行くとか?
毎週末家に居ないとか?
義実家への帰省回数日数が多いとか?
前は不満を言うと倍返しは当たり前で理屈で言い負かされることが多かった。
今は違う。
彼は倍返しをしなくなった。
対等くらいに言い返した後は黙って聞くようになったのだ。
おそらくこれは私がいっぱいいっぱいなのを汲み取ってくれたから。
この気持ちを彼が受け止めてくれないと私は平常心ではいられなくなるかもしれない。変な意味はなく。
ありがたや。
これが私たち家族の変化。
駐在妻という生き物はこの街に知る限り片手分くらいしかいない。
『…駐在って何?』
初対面の3言目くらいでこれ。
もちろん駐在とはなんぞやと知りながら聞かれてます。
仲良くできる気がしない。
他の人がいないところでこういうことをわざという人が少なからずいるのね。
アンチ駐在妻ね。分かります。
そう。私はこんなことを書きたかったんだ。
こちらでの暮らしで感じる日々の色々。
日本人の付き合いがめんどくさければ、避けて通れるような街。
大都市ではそうは行かないけど。
実際日本人とはほぼ絡まない人もいる。
それで自立して生活が成り立つんだから羨ましい。
私は語学力が到底足りないし、いざという時の対処法もカナダでは皆無に近い知識量。
日々、助けられながら生きている。
駐在妻は英語話せない人も多いけど、この街には話せる人ばかりで自分が惨めになる。
そんなところ。
劣等感ばかりが増えて行く…笑
私、駐在妻になる。
特に海外への憧れなんてなかった。
もちろん旅行や留学したことはとても有意義な時間を持つことが出来たが特段暮らしたい願望なんてなかった。
『駐在妻になりた〜い♡』
大学生の頃はそういった友人も少なからずいたが、私にはムリーとあの頃から思っていた。特に日本人コミュニティの話など聞くと絶対行きたくない気持ちの方が強かった。
夫の仕事も海外転勤が多い職場ではないので程遠い場所にいると思っていた。
が。
夫は海外転勤志望だった。しらなかったよ。
君が海外で働きたいなんて。
そもそも理系の人間で英語も決して得意ではない君が。
彼は目標を決めれば努力を惜しまないタイプ。
勉強は大嫌いらしいが確かに日々英語の勉強はしていたし、会社の英語授業やTOEICも月1で受けていた。
彼の努力時々ゴルフが功を奏して海外転勤が決まったのだ。
『カナダに行くって行ったらどうする?』
私の去年の誕生日。
帰宅した彼は突然私にこう言ったのだ。
『…君が行きたいなら応援するよ。』
こうしてカナダ転勤が決定。
もちろん100%賛成だったわけではない。
当時慣れない育児真っ只中。0歳児を抱えての海外生活で不安がないわけがない。
だけど、それまで努力してきた彼を見てきたから応援したかったんだ。
それから1歳になった娘を連れてカナダへと渡加。
こうして私はいわゆる駐在妻となった
冬は極寒となるこの地での私の日常を綴っていこう。
人付き合い、街の様子、海外での子育て等。
謙遜なしで英語なんて全く話すことが出来ない私の英語圏での暮らしぶり。
私が知りたかった海外生活、駐在妻生活。
現在進行中。
私というもの
mixiやGREE、Facebookなど流行り始める前から大体始めていた。
あの頃から日記代わりに書くようになったブログ。三日坊主の私が唯一10数年間続けてきたものだ。
知り合いが見ているという多少なりともあるプレッシャーから解放されるべくこちらにも書く事にした。
何もとらわれる事なく、ありのままの自分を書いていきたい。人の目を気にして書いていたらほんとに書きたいことなんて書けない。
愚痴も多くなると思うし口も悪くなると思うけど…まぁいいか。これが本当の私だから。
カナダの田舎町で数ヶ月前からいわゆる駐在妻として暮らし始めた。
カナダでの暮らし、駐在妻の悩み、ただの子育てトピ、ぼちぼちゆるーく日常を綴っていこうと決めた。